義務論理について考える

義務論理(Deontic logic)について考えてみます

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ナンセンスに終わる可能性もあるけれども、「付値論としての意味論」の構想について覚え書き

 

ここでは、義務論理(Deontic Logic)のみを念頭に置く。

 

方針は次の通り。

 

行為を表す論理式(命題)に対して、真偽値のように、善悪のような値を考える。

 

ただし、この付値は真偽値関数の場合と異なり、論理式全体がなすブール束からブール束{0,1}(後者においても、演算子記号∨、∧、¬を用いる)の準同型であること、命題変数の値から、すべての論理式の値が決まることを要求しない。

 

特に、仮にこの付値をJと表すとき、J(¬p)=¬J(p)がなりたつことを要求しない。

 

これは、してもしなくてもよい行為は、J(p)=J(¬p)=1であると解釈するためである。

 

ただし、J(¬p)≧1-J(p)であることは要求する。これはpが悪事を意味するとき、つまりJ(p)=0であるとき、¬p、つまり悪事をしないことはゆるされるべきだからである。

 

この性質の不等式による表現は不自然に思われるかもしれないが、実際には、∨に対する性質からの帰結

 

このような付値を導入したうえで、真偽値関数をTと表すとき、T(PEp)=J(p)、T(OBp)=¬J(¬p)によって、義務論理的論理式の真偽を定める(PE、OBはそれぞれ、「~してよい」、「~すべき」を意味する様相演算子

 

∨に対する性質の弱め方によっては、義務論理のパラドックスのうちのいくつかを解消できるが、他方において、ブール束の元としてp≧qのときにOB(p)⇒OB(q)がトートロジーになり、OB(p⇒q)⇒(OBp⇒OBq)より強く、OB(p⇒q)⇒OBqがトートロジーになってしまい、これって病的?っていう、一難去ってまた一難的状況