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義務論理について考える

義務論理(Deontic logic)について考えてみます

行為の善悪について

真偽値の類似物として善悪値なるものを導入する。

 

真偽値は命題に対して与えられるが、善悪値は行為、あるいは行為についての命題に対して与えられる。

 

当然、善が真と、悪が偽と対比される。

 

ただし、二値論理にするためには、悪と非悪(optionalという語が適当だろうか)という値を考えた方がよさそう。

 

というわけで、必ずしも行為の善悪を考えるわけでないことから、行為に対して値を与える関数、あるいはその値のことを仮にmoralityと名付ける。

 

定義

行為からなる集合Pにたいして、Pから{0, 1}への関数Jのことをmoralityと呼ぶ。

J(p)=0であることを、pすることは悪であると解釈する。J(p)=1であることを、pすることは悪でないと解釈する。

 

早速の問題

結合子に対して満たす性質について、関数Jは真偽関数(ここではTという記号を使います)と異なってしまう。

 

T(¬p)=1-T(p)だが、必ずしもJ(¬p)=1ーJ(p)は成り立たない。

 

正確に言えば、J(p)=0ならばJ(¬p)=1は成り立つが(するも悪、せぬも悪であるような行為は存在しない。)、J(p)=1のときはJ(p)=0であることもJ(p)=1であることもありうる。

 

例えば、

  p:犯罪をしない

のときは、J(p)=1であるが、J(¬p)=0であるが、

  q:お茶を飲む

に対しては、J(q)=1でJ(¬q)=1

 

J(¬p)=1ーJ(p)が成り立たない原因となる後者の例のような行為を「行為」の定義から締め出すことも考えられるが、これは得策ではないように思われる。

 

「飲んだら乗るな」は行為の規範についての言明で、義務論理の命題として扱われてしかるべきだが、酒を飲むことと、車を運転すること自体はしてもしなくてもよい行為のはずである。

 

この例は後に結合子「∧」についての考察でも取り上げる。

 

ということで、Jが「¬」に対して満たさなければならないことは

  J(¬p)≧1-J(p)

また、不等号にしたことによって、p⇔¬(¬p)がトートロジーでなくなってしまう可能性を排除するために

       J(¬(¬p))=J(p)

を約束する必要がある。