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義務論理について考える

義務論理(Deontic logic)について考えてみます

行為の善悪について その3

結合子「∨」について

p, q, r , ...を行為を表す命題変数とし、Jを行為を表す論理式に対して 0 または 1 の値を与える関数で以下の性質を満たすものとする。

 

  1. J(¬p)≦1ーJ(p)
  2. J(¬(¬p))=J(p)
  3. J(p∧q)≧min{J(p), J(q)}

J(p)=1 であることを、行為 p は悪でない、と解釈し、J(p)=0 であることを、行為 p は悪である、と解釈する。

 

上のようにその性質が不等式であらわされることは、真偽値関数の場合と異なり、命題変数の値に対して、結合子によって定義される論理式の値が、性質を満たす範囲で自由度を持つことを意味する。

 

今回は、J が結合子 ∨ に対して満たす性質について考える。

 

ド・モルガンの法則 ¬(p∧q)⇔¬p∧¬q、¬(p∨q)⇔¬p∧¬qは、J による意味論においてもトートロジーであるべきである。

 

よって、J(p∨q)=J(¬p∧¬q)であるから、上記性質3、1より、J(¬p)=0のとき、J(p)=1で、J(p∨q)=1となる。

 

これがJ(q)の値によらないことから、J(p∨q)=1であることの解釈としては、(pまたはq)をすることは悪でない、というよりはむしろ、pまたはqすることの少なくとも一方は悪でない、と考えたほうがよさそうである。

 

この解釈に従えば、

J(p∨q)=max{J(p), J(q)}

とすればよさそうである。

 

以上の準備をもとに、前回のブログの問題に解答を与える。 

umemura-wataru.hatenablog.com

 

それは、[J(p)=1 かつ J(q)=1 かつJ(p∧q)=0となるとき、J(¬p)=1かつJ(¬q)=1」となるか?という問いであった。

 

これは正しい。

 

(解答) J(p)=J*1で、仮定よりJ(p)=1であることから、右辺の値も 1 である。J*2=max{J(p∧q), J(p∧¬q)}で、仮定よりJ(p∧q)=0であることから

右辺はJ(p∧¬q)に等しい。

以上から、J(p∧¬q)=1よって、min{p, ¬q}=1よりJ(¬q)=1

同様に、J(¬p)=1であることも示される。□

 

はじめに述べたように、Jは真偽値関数と異なり、命題変数の値から、結合子によって作られた論理式の値は一意的に定められない。何がどのような値のときに、何の値が一意的に決まるかについては、今後の課題とする。

 

この問題はとりあえず後回しにして、次回は、Jを用いた義務論理の結合子PE(~してよい)、OB(~すべき)に関する意味論について述べる。

*1:p∧q)∨(p∧¬q

*2:p∧q)∨(p∧¬q

行為の善悪について その2

行為 p, q の善悪に対して、p∧qの善悪について考える。

 

p, q を行為を表す命題変数とする。

 

J は行為に対して、0, 1の値を与える関数で、J(p)=0 であることを行為 p をすることが悪であると解釈し、J(p)=1 であることを行為 p をすることが悪でないと解釈する。

 

umemura-wataru.hatenablog.com

 

 

真偽値関数のように

  J(p∧q)=J(p)J(q) (別な表現の仕方をすれば、J(p∧q)=min{J(p), J(q)})

が成り立つかどうか考える。

 

J(p) と J(q) のうちの少なくとも一方の値が 0 であるとき J(p∧q) の値が 0 であるとすることは、妥当であるように思われる。

 

問題になるのは J(p)=1 かつ J(q)=1 の場合で、この場合に J(p∧q)=0となることがありうる。

 

例えば

 p:お酒を飲む

 q : 車の運転する

とすると、J(p)=1 かつ J(q)=1 であるが、J(p∧q)=0 (飲酒運転はいけない)

 

というわけで、Jが結合子「∧」に対して満たすべき条件は

  J(p∧q)≦J(p)J(q)(別な表現の仕方をすれば、J(p∧q)≦min{J(p), J(q)})

問題

J(p)=1 かつ J(q)=1 であるが、J(p∧q)=0となるような例で、J(¬p)=J(¬q)=1でないような例は作れるか?作れないとしたら、このような性質の適当な表現方法はどのようなものか?

行為の善悪について

真偽値の類似物として善悪値なるものを導入する。

 

真偽値は命題に対して与えられるが、善悪値は行為、あるいは行為についての命題に対して与えられる。

 

当然、善が真と、悪が偽と対比される。

 

ただし、二値論理にするためには、悪と非悪(optionalという語が適当だろうか)という値を考えた方がよさそう。

 

というわけで、必ずしも行為の善悪を考えるわけでないことから、行為に対して値を与える関数、あるいはその値のことを仮にmoralityと名付ける。

 

定義

行為からなる集合Pにたいして、Pから{0, 1}への関数Jのことをmoralityと呼ぶ。

J(p)=0であることを、pすることは悪であると解釈する。J(p)=1であることを、pすることは悪でないと解釈する。

 

早速の問題

結合子に対して満たす性質について、関数Jは真偽関数(ここではTという記号を使います)と異なってしまう。

 

T(¬p)=1-T(p)だが、必ずしもJ(¬p)=1ーJ(p)は成り立たない。

 

正確に言えば、J(p)=0ならばJ(¬p)=1は成り立つが(するも悪、せぬも悪であるような行為は存在しない。)、J(p)=1のときはJ(p)=0であることもJ(p)=1であることもありうる。

 

例えば、

  p:犯罪をしない

のときは、J(p)=1であるが、J(¬p)=0であるが、

  q:お茶を飲む

に対しては、J(q)=1でJ(¬q)=1

 

J(¬p)=1ーJ(p)が成り立たない原因となる後者の例のような行為を「行為」の定義から締め出すことも考えられるが、これは得策ではないように思われる。

 

「飲んだら乗るな」は行為の規範についての言明で、義務論理の命題として扱われてしかるべきだが、酒を飲むことと、車を運転すること自体はしてもしなくてもよい行為のはずである。

 

この例は後に結合子「∧」についての考察でも取り上げる。

 

ということで、Jが「¬」に対して満たさなければならないことは

  J(¬p)≧1-J(p)

また、不等号にしたことによって、p⇔¬(¬p)がトートロジーでなくなってしまう可能性を排除するために

       J(¬(¬p))=J(p)

を約束する必要がある。

義務論理の意味論について

義務論理の意味論

善悪が道徳的に正しい・正しくないを意味しているとすると、命題論理における真偽値の類推として、善悪値を考えることができそうなものである。ところが、善悪値関数あるいはそのような概念に基づいた義務論理の意味論の基礎付けは試みられていない。

 

その大きな理由は、後の論考で詳述するが、善悪は真偽とまったく同様には扱えず、命題論理のトートロジーが、トートロジーでなくなってしまうためである。しかし、類推が妥当でないことは、このような基礎付けが徒労であることを意味しない。むしろ、義務論理の独自性の要因になるではないだろうか。

 

後の論考で、善悪の概念が、どのように真偽の概念と異なるか検討し、命題論理を模倣しつつパラドックスを回避するような意味論の構成方法、および対応する構文論を提示したい。